yukitaの想い出日誌 CLANNAD―クラナド―・第3回『涙のあとにもう一度』(考察編)
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CLANNAD―クラナド―・第3回『涙のあとにもう一度』(考察編)

今回、全体を通して思ったのが、『アニメ的な表現』が多かったと言う事です。
それとOPの映像・「つづく」の文字から、一つの仮説を立ててみました。
『朋也達の日常は、『僕』(ガラクタ人形)の見ている、夢(記憶に基づく物)の映像である』
――以下の文は、原作を中途半端にしか知らない者の、『思いつき』です。
的外れな事も多いと思いますが、書いてみようと思います。
『僕』(ガラクタ人形)は、この世界(『何も生まれず・死なない世界』)に来るまでの記憶が澱んでいて、中々思い出せない状態にあります。
そして、少女に抱かれた時『僕の求めていた、この世界でたった一つの温もりだ』と、言っています。

OPでは、『僕』は誰かの手を取っています。そして、その人物は雪に埋もれていて、『僕』は、見ている事しか出来ない。
また、渚の紹介シーンの中に、雪の中に横たわる少女(幼い渚?)の姿があります。
『僕』が手にしていたのは、この少女の手ではないでしょうか?

杏の紹介シーンでは、誰かに語りかける様に、杏がバスケットボールをドリブルしています。
多分、相手は朋也でバスケットの勝負を持ちかけているシーンだと思います。
「さあ朋也。悔しかったら、私からボールを取ってみなさいよ!」
そんな感じで、挑発しているシーンだと思います。

そして、二人で夕暮れの中、一緒に帰るシーンもあります。(恋人の様な雰囲気で。)
今回までの展開なら、一緒に帰るのは渚でしょう。
ここから考えられるのは、これは『別ルート』の話だと言う事です。
当然、原作なら各ヒロインのルートがあるので、何ら不思議ではありません。
でも、多分アニメの展開としては『渚ルート』が中心でしょう。
また、朋也も自らを『不器用な性格』と言っているので、渚と仲良くなりながら杏との仲を進める様な『器用な』事も出来ないと思います。

更に、ことみ・風子・智代の『ルート紹介』もOPではあります。その全てには当然、朋也が関わってくるでしょう。

そしてOPの最後に、渚の姿が遠ざかり、光の玉になって空へ飛んで行きます。
その光は無数にあって、空一面に広がって行きます。多分その玉の全ては、人々の『記憶』だと思います。

『僕』の目的は、人々の記憶に触れて『自分の記憶』を取り戻す事にあると思います。

少し話題が飛びますが、今回は『アニメ的表現』が多かったと思います。

・寝ぼけた春原に『ここは百年後の世界で、人類は滅びた』と、朋也が嘘を吐いた時の、春原の涙の流し方。
・朋也に怪我をした手のひらで『ハイタッチ』されて、痛みを堪えている風子の涙。(滝涙)
※前回泣いていた時は、普通の泣き方だった。
・『演劇部の紹介』の筈が、『だんご大家族』の紹介になってしまった渚にツッコミを入れる際、朋也が『背景』を押し出そうとしているシーン。
・春原は、衝撃波が出る程の智代の蹴りを743回も受けたのに、「死ぬわ!」の一言で済ませている。
・杏に推定10m吹き飛ばされたにも拘らず、朋也のボケに、すぐツッコミ。その上、杏に蹴られた際、スカートの中身をきっちりと目視。(それだけの動体視力があれば、蹴りを避けられる筈。)

『Kanon』の頃は、こんな『アニメ的な表現』は、無かったと思います。
これは、この風景が『現実』とは、少し違うからだと思います。

『何も生まれず・死なない世界』で、『僕』は夢を見ているのではないでしょうか?
この世界で舞っている光には、渚や『朋也たちの世界』に住む人々の記憶が閉じ込められているのだと思います。

光の玉の各々に『人生』が詰まっているとすると、それに触れる事で、その人の人生を追体験出来るのではないでしょうか?

原作では、『渚ルート』の他にも、様々なルートがあります。プレーヤーはその全てのルートを見ることで、朋也が選ぶ未来の可能性を知る事が出来ます。

『人間は夢の中で、情報の取捨選択をしている』と言うのを、何かの記事で読んだ事があります。
『僕』も『この世界』で、自分の本来取るべきだった道を、探しているのではないでしょうか?
人生は、やり直しが利きません。でも『僕』は、『この世界』から自分の居た世界に帰る為に、自分の人生をやり直そうとしているのではないでしょうか?

沢山の記憶を辿り、何度も人生を追体験し、自分の人生を『再構築』する。
そこで得た物全てを、『元の世界』に持ち帰れば、『僕』はその手を握る事しか出来なかった『少女』を、その胸に抱く事が出来ると思います。

そして…その少女は渚で、『僕』は朋也ではないかと思います。
何故、幼い渚が雪の中で倒れていたのかは、解りません。でも、1話(第1回)のOPを見た時から不思議に思っていて、『僕』が雪の中で誰かを見ているような映像と組み合わせた時、何となく『僕』が朋也ではないかと思いました。

でも、分らない事も沢山有ります。その内の一つは、森を彷徨っている風子?の事です。
何故、風子がそんな所にいるのか?そして、誰かを探している様に見えましたが、それは誰なのか?
そして、花畑を走っている少女。
この少女が走っているシーンが、この物語の『到達点』なのだろうとは思うのですが、気になるのはOPの最後の方で、分かれ道で少女が佇んでいるシーンです。
あれだけ楽しそうに走っていたのに、何故あんなに切なそうなのか?

他にも杏が、吹雪?の中で切なそうに見つめている物は何なのか?

疑問は尽きませんが、取り敢えず気になったのは、この3点です。
この疑問が、今後どうやって解決されるか、注目していこうと思います。

※1話を観た時から体調が悪く、気持ちも塞ぎ込みがちだったので、これまで上滑りな感想ばかり書いてきました。
何か変に焦って、受けを狙ったりして、書きながら違和感がありました。
今回は、心機一転して『素直な感想』を書く為に、『ガス抜き』として、この文を書きました。
(2話までの感想自体は、僕が感じた事を元にして書いていますが、『余計な表現』が多かった気がしました。)
3話の感想は、4話を観るまでに完成させたいと思いますので、少しだけお待ち下さい。
では、また次回。
追伸:3話の感想自体は、素直に書けそうですが、宮沢有紀寧が登場したので、少し脱線するかも知れません。その点は、ご容赦下さい。――では!
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